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攻略と言う言葉との遭遇
攻略と言う言葉との遭遇
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ししょーさん
- 投稿日:2023/01/18 22:29
あなたの人生を変えた機種と言われ、いろんな視点で見ると、何機種も頭に思い浮かぶ。
そうは言っても、パチンコ、パチスロを打ち始めて早40年、これだけ長く付き合うきっかけとなったのは、やはりパチンコって攻略すれば勝てるじゃん、そう思わせてくれた台「三共ニューフィーバー」俗にタコフィーバーと呼ばれた2代目。登場は昭和57年、1982年だそうで。まだ生まれる前の人も多々いるな。
誰も知らない台だろうけど、まあ爺さんの昔話に付き合ってください。
時は羽根ものゼロタイガーが大ヒット中の頃、1000円札を100円玉に両替してと言う時代。換金率は2.5円。羽根ものは3000個打ち止め7500円。たった7500円と言わないで。当時の学生さんのバイトの時給が500円、そりゃ大金な訳。
当時は玉を入れる箱も小さく大体800個くらい、かわいい箱。この1箱で約2000円、タバコ1カートンなんて頃だった。
ちなみに自分はマイルドセブンが250円に値上げした時に禁煙。もう30年くらい経つね。
釘の開け閉めが頻繁にされている頃。ひたすら釘と睨めっこ。昨日に比べて落としが広い、狭い。
まあそんな簡単なところは見せ釘が多くて、実際は風車上とか、ハカマ上とかに罠を仕掛けられることが多かったな。更には台ごとの役物のクセが凄いので、通わないと初見では釘だけだと勝てない時代でした。
釘を読んで、台のクセまで把握して、狙い台を打ち止めにした時の爽快感は最高だった。
そんなパチ屋の奥の方を眺めると、手元には100円玉タワーが積まれてる。ひたすら投資し続けてる鉄火場がフィーバー島。当時はセブン機と言う言葉は無く、フィーバーと言う三共の商標がそのまま使われてたね。そもそもフィーバーしか無かったので、そりゃそうだ。
当時フィーバー1回で釘にもよるけど3000-4000個で1回交換。まだ換金ギャップが大きく、遊べる調整ではあったけど、ただ学生さんにとっては、なかなか踏み込めない空間。
ちなみに同時期に新しく出来た隣のお店は0号機時代のスロ専だったりします。
(まだパチ屋と併設になる前で併設は1号機になってパチンコ台と同じサイズになってから)
さてフィーバー、何も知らない頃は単なる運ゲー。まあ一応ゼロタイガーで釘は勉強したので、多少は良し悪しはわかる程度。
これが、あるきっかけを境に天地逆転と言うか晴天の霹靂と言うか。そんなのに出会っちゃった。何と本物の攻略法。
トップ画像はコロナ禍で大掃除中に出てきた雑誌記事の切り抜き。
こんな記事が出てきてから1年くらい普通にお店に設置してあったのも、まさに時代だね。
この通り打てば勝てる。そんな情報が今なら考えられないほど長持ち。
仕組みを理解して打つと勝てる、楽しいと思ったきっかけだった。
簡単に話すとリール3つと、その上にデジタル1つ。このリールが7揃いして、デジタルも7だと見事フィーバー。
で、このリールが1回転ごとに規則的にズレて止まる。ってことは止まってる出目を見れば次に7揃いになるかどうかがわかる(当たりのラインに止められるかは別ね。リールのどこかで揃ってる。これをボタンを押して狙えたんだよね。ただ結構早い時期にボタン切られちゃったけど)
ちなみにこのボタンって、今の演出用と違って、ほんとのリールを止めるボタンだったんだよ。
このボタンが切られて効率めちゃ落ちたけど、それでもリーチ目さえ拾えば1/10で7揃い。後はデジタルに7が止まるか。これはランダム、大体40%くらいかな。細かいこと忘れた。まあいくらでもリール目が拾えたので、座って1回転のカニ歩きしてるだけでザクザクなんて良い時代でした。
結局1年くらいはガッツリ。バイトが時給500円の頃に簡単に2-3万勝てちゃうんだから、学生さんが飛びつかない訳がない。お陰でパチンコがバイトでした。
今考えると、ほんと単純な仕組みだよね。今時なら小学生でも考えつくレベルでお金が増えるんだからやめられない。
俺ってパチプロになれるんじゃね?なんて思ったりしたのも昔話。これが規制されて無くなっちゃった。ここで目が覚めた!
パチプロは無理だと悟りを開けたのは助かったなと。
楽しめて、更に勝てれば尚良しと考えを変えました。
ちなみにこのあと10カウント機と呼ばれた時代もガッツリでした。
ブラボー10、キャプテンルーキー、ニューパニック等々。懐かしいなあ。
フィーバーの攻略に出会ったことでこれだけ長い間楽しめてる趣味に繋がったきっかけになったのは間違い無いかと。
と言うことで自分の人生を変えるきっかけとなった台として「三共ニューフィーバー」としておきましょう。
おまけ
その後何度も「面白く無いなあ、やめようかなぁ」と思ったのを踏み留まらせた台も、せっかくなので書いておこう。
まずは4号機時代になり、3号機の○モノが淘汰されたころ出てきた獣王。
未だにあの新装開店の異様な空気は覚えてるなあ。
何が起こってるんだ?どうやって抽選してるんだ?
変則打ちすると毎回同じ様な出目ばかり。
なんだ?と思い続けてようやく訪れたサバチャン。
物凄い払出スピードもあったけど、何が起きてるか、わからないまま終了。
当時は新装時の新台情報なんて、ほんと簡単なものばかり。今の様な至れり尽くせりとは違う、ワクワク感と、恐ろしさとが入り混じった状態。
とにかく自分の中での革命的な出来事としては、潜伏という概念。
サバチャン終わって、第一停止で、馬パカパカと去っていく。あーあと思った瞬間にリプ揃ってる!あの違和感。
ああボナかと思ったけど揃わない、ところからのベットサバチャン。いやーやられました。
根本的に台の仕組みを理解して楽しむのが好きなので、獣王なんて解析出るまでは、どうやってるんだ?状態バージョンだろとか思ってたから。
あれで、仕組み理解の概念が蘇り、その後は仕組み探索が楽しくてズブズブとスロにのめり込むことに。
まあそれまでのスロは、正直勝てなかったんですよ。7枚交換とかの時代で、自分の目押し力が足りないので、ビタなんて無理だし、パチンコで勝ったお金で少し遊ぶみたいな頃。それが交換率が上がり始めたのと同じ頃にパチンコのCR機が5連リミッターとなり、スロに本格的に移行するかと思うきっかけとなった機種でもありました。
その後、4号機終盤戦で吉宗のキーンに頭をやられ、撤去から5号機になり放心状態。ようやく復活させてくれた台が初代エウレカセブン。ここは皆さんご存知の通り、めちゃ楽しい台だった。
その5号機も終盤戦になり、再び朝から晩まで打ち続けちゃう不二子ちゃんと出会っちゃった。
結局、自分の中では一番回した台になりました。
その代わりに不二子ちゃんロスが酷い。
スロに軸足移してから20年くらいパチンコ打ってなかったんですが、不二子ちゃん撤去からの放心状態。それで超久しぶりのパチンコ復活。最初は当然ルパンですw
と思ったら、結局最近はパチンコばかりになって現在に至ってますね。
それにしてもこれだけ長い間楽しませてくれるものを与えてくれて感謝感謝ですね。
このまま老人ホームに持ち込みたいと本気で思ったりしてます。不二子実機欲しい!
と言う爺さんの昔話でした。めでたしめでたし。
22
ししょーさんの
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このコラムへのコメント(14 件)
ほんと緩い時代でしたよ。1回転だけでカニ歩きしても出禁にもならなかったし。
まあ楽しい学生生活でしたね。パチ屋か雀荘にしか居ませんでしたがw
こういう「本当の攻略法」という隙がある時代で生きてみたかった。
ま、私は直ぐに
「地域の方」とか「893さん」に捕まって拷問されそうだけど☆
バレたかw
まあなんだかんだ長く楽しませてもらってます
あの頃流行っていたハネモノって「クロフネ」と聞き及んでおります。
のちに「外輪船」のモデルになった機種ですよね。
私は今パチンコを超えた日本の歴史に触れているのだと思うと震えが止まりません!
そうね、江戸城無血開城の頃かなあw
明治時代初期くらいですっけ?
えっ皆んな若いんだw
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