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大学生パチンコ店員バイト時代のお話 序章
大学生パチンコ店員バイト時代のお話 序章
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さる(差分)さん
やりたいことをやり、やりたいことに生きていきたいそんなわがままな人間です。 好きな機種 モンキーターン 新鬼武者 ダンバイン 牙狼金色 押忍!番長2 - 投稿日:2016/10/28 00:57
以前お題帳であった「100台のパチスロ専門店を考えよう」にて、一部だけ僕の過去話をしましたが、後日書きますと言っておきながらまったく書いてなかったので書きます。
事の始まり・・・
スポーツ推薦で大学に入学した僕。しかし大学1年生後期で怪我をしてしまい、選手復帰不可能とされ在籍だけ残して一般大学生として生活することになった。
親からの仕送りも「スポーツするというのが前提で大学にいるんだから、それができないなら仕送りはしない」と宣言されてしまった。
絶望的な状況の中、とりあえず割のいいバイトを探した。
しかし場所が田舎なだけあって時給が低いのなんの。全然給料が高いバイトが見つからない。
いや、一つだけあった。
大学から徒歩20分くらいの距離にあるパチンコ屋のバイトだった。
だけど、出来ればパチンコ屋のバイトはしたくなかった。
理由としては、僕が小学生の頃。両親ともにギャンブル好きで遊び人気質だった為か、借金〇〇〇〇万円くらい抱え込んでいた時期があったそうだ。(言える金額じゃない)
父方の祖父がある程度資産家だったようで、何とか切り抜けたそうだ。
これを機に父親はギャンブルを卒業。真面目に働いて家族を養う生活に切り替えた。
しかし、母親は違った。
母親はパチンコを辞めれず、当時小学生だった僕を連れ出してパチンコ店に行くことが多々あった。
一番嫌な思い出として、[パチンコ店の入口で12時間放置されたこと]。
子供がパチンコ屋に入ることが禁止された時代に突入してからは母親はパチンコ店、僕は外でアリをいじったり草を引っこ抜いたりする遊びをするということがあった。
勝った時はそのまま外食。負けたら家で具なしインスタントラーメン。晩ご飯はパチンコの結果次第だった。
おじさん「坊主、こんなとこで何してる。」
僕「お母さん待ってるの。」
おじさん「お母さんたって、もう夜8時だぞ。何時から居るんだ。」
僕「朝起きてからずっとだよ。」
おじさん「!?」
その後何故か母親から怒られた。何も知らないし、わけがわからない当時の僕は泣くしかなかった。
それからは「パチンコは悪いことだ!」と子供の頃から思っていた為か、あまり気が進まなかったのだ。
けれど、金の為ならそういう感情は切り捨てて身を呈して働くほうが良いと思い立ち、バイトの面接を受けた。
Z店長「〇〇大学の学生だけど、部活とかはしてないの?」
僕「はい、怪我で激しい運動ができなくなってしまったので現在部活はしていません。」
Z店長「そっかー。パチンコ屋の店員って結構重労働だけど、大丈夫そう?」
僕「はい、大丈夫です。」
Z店長「んー・・・」
しばらく考えるZ店長
Z店長「いいや、合格。来週からよろしく。午後がメインで土日は朝から8時間でいい?」
僕「は、はい!(怪我のことでダメかと思った・・・)」
こうして一人のパチンコ屋のアルバイト店員が誕生した。
続く
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さる(差分)さんの
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このコラムへのコメント(4 件)
小学生時代から母親が料理しないとか色々あったので小学校高学年では自分で料理できるくらいになってました。逆にそれから米炊きはやってくれと頼まれたりなんだりで家事スキルがおかしい小学生になってましたね・・・。
あ、今は大分母親も落ち着いてますよ?大分ね。大分。
ぶっちゃけ短編小説レベルの長さになりそうなんでどこを省けばいいのかって悩んでます。たぶんこのくらいの文章が23個分作れます。それくらい濃い人生です。
さるさんの、外でずっと待ってたってのは涙が出るかと...(T_T)
続き、楽しみにしてます。