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ドンちゃんといふ男

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ドンちゃんといふ男

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あしのさん
あしのマスクの中の人。浅草在住フリーライター。インタビューウィズスロッター連載中。パチ7の他は『ナナテイ』『ななプレス』『悠遊道』などでも書いてます。ツイッターもあるよ!@Slot_Ashino
投稿日:2021/01/26 00:22

本邦に於いて「ドンちゃん」というと、パッと連想されるキャラは概ね三種に大別できるかと思われます。まずはみんな大好きハナビ師のドンちゃん。つぎに太鼓の達人の和田ドン。さらにNHK「ワンツーどん」に出てくるあの口がカパカパした猿。これがドンチャンではなくドンファンだとすると紀州を始めとする日本各地にいる気がするのですが、とりあえずチャンの場合はこの三種。花火師と太鼓と猿です。

ちょっと気になって調べてみた所、2020年1月現在、「ドンちゃん」で検索した場合ハナビのドンちゃんが概ね検索結果の上位にくる模様。次いで太鼓の達人関連。猿はかなり下です。やったぜユニバーサル! NHKをぶっ壊したドン!

……さて、先日パチ7編集長がゲスト出演されたユニバーサル公式動画、みなさまご覧になりましたでしょうか。まだご覧になってない方はぜひどうぞ。初心者向けということで普段打ちこまれてる方にとっては物足りない内容かもしれませんが、それだけにあんまドンちゃん2打ったことねぇけど興味はアルぜ(ユニバだけに)と思ってる方にはビスンビスン刺さる内容になってるのではないかと思いました。あと編集長が若干緊張してるのが笑えるのでビールでも飲みながらぜひ。

https://youtu.be/IOLCXEqQbBs

んで、ドンちゃん2(以下ドン2)がどれだけオモロイかとかはもはやさんざんっぱら語り尽くされておるので別稿に譲るとして、ここでは「ドンちゃん」というキャラにまつわる筆者の思い出をちょっぴりと語ってみたいと思います。

申し遅れました。チワッス、あしのです。


●名も知らぬその男は凶暴につきアルコール厳禁。

ドンちゃん。みんな好きでしょうか。大抵のパチスロ系キャラと同じく、大体の人は愛憎渦巻く複雑な感情だと思います。そりゃ勝ったり負けたりがどうしても介在するジャンルなのでしゃアない。筆者の場合、このドンちゃんについては助けてもらった事と煮え湯を飲まされたことが大体半々くらいだと思います。普段はいい人なんだけどもアルコール入ると人格が豹変する親戚のおっさんくらいの感じ。小遣いくれるか殴られるか五分五分です。

思い返せば、筆者とドンちゃんの出会いは「大花火」でありました。そう、初代のハナビじゃないんです。もちろん当時ハナビが甘ェとかいう話はめちゃ聞いてましたし小役カウンタ(カチカチ君みたいなのじゃなくて、内部の話)を用いた設定判別も全盛期だったんで周りの専プロっぽいニートたちは大体ハナビばっか打ってたのですが、なんと筆者はこれをスルー。山佐の機種にダダハマりしておったのもあり、ようやく触ったのが「大花火」だったのですね。

で、今でも忘れない大花火の初打ちなのですが、大してビタに自信があるわけでもないのにアシストを使わず特攻して最初のビッグで400枚くらいしか取れないという、実にビター・テイストなものでした。んで、若さとは恐ろしいもので、なんかアラッと思ってしまった筆者は翌日もまた400枚くらいしか取れないビッグを笑顔で消化しにお店に向かい、そこで見かねた友人から「ビタできないなら3連ドンちゃん狙えばいいんだよ」みたいなアドバイスをされ、あろうことか逆ギレするという、一言でいってパチスロ偏差値が低すぎるアクションをブチかまし、そしてそれが、ドンちゃんデビューを思い出になっています。

ちなみにその頃、周りで「ドンちゃん」という単語を使ってる人はいませんでした。既に公式で「ドンちゃん」という名前があったのかもしれませんが、九州の片田舎に住む未開の部族たちに正確な名前を調べて呼称するだけの文明はなく「15枚」「三つ子」「アシストポイント」「一確」「トリオ(レ)」「ハナビちゃん」「源ちゃん」など、好きなように呼んでおりました。この辺は地域差があるのかもしれません。あと、周りのレベルもダイレクトに関係してくると思うので、要するに筆者の周りはそういう人々ばかりであったと、そういう話でございます。

んで時代が下って「ドンちゃん2」がホールデビュー。

ここで未開の部族たちはいよいよ「ああコイツ、ドンっていうんだ」と名前を認知するに至ったわけですが、この初代ドン2はその後、長らくに渡って「筆者が一番打ったAタイプ」に君臨する事になります。


●甘いぜ甘いぜ甘くて死ぬぜ!

初代ドン2の思い出は色々あります。んでそういう思い出の各種を丸めて一言で表すなら、この時のドンちゃんは非常に甘かったです。スペックを見てもそんな甘い感じはしないというか、もっとアメリカのよくわからん紫色のグミのように甘い機種がゴロゴロあった時期なので、取り立てて「ドン2専門プロ」みたいなのは聞いたことないんですが、むしろ周りがそういう状況だったからこそ導入してるホールはそこそこ良い設定を使ってくれてたのかもしれません。とにかく鬼甘かった記憶があります。

まあ鬼甘とかいっても、当時は爆裂AT機もストック機もゴリゴリ来てる状況だったんで「ドン2甘ェ!」とか声高に叫ぼうもんならヤベえヤツを見る目で見られてたと思います。故に筆者は自分だけの密かな楽しみとしてドン2を嗜んでいたと。そういう感じです。が、実際この時期のパチスロが無茶苦茶勝ちやすい時期だったのはどうやら間違いがなく、例えば元プロのひとや現役のライターさんに聴く限り、皆口を揃えてそう述べられるので、それはもう、共通の認識なのかもしれません。まあ確かに、筆者みたいなスーパー適当立ち回りでもキンパル打っとけばとりあえずプラスになってた時期なんで、この辺は間違いないかと思われます。

要するに。

「ドンちゃん2」はその時期──パチスロが一番グイグイ来ている、夢と希望の勃興期にホールに在り、しかも大抵のオッサンにとっては「青春の時代」という事もあって、勝利やら無限の体力やら全能感やら、ようするに「若さのイメージ」と密接に結びつき、さらには台自体も液晶がついちゃってて「パチスロのフューチャーはナウだ!」みたいなワクワク感とか……とにかくそういうポジティブな諸感情とネジ式にハマっとると。そういうわけです。したがってこの「ドン2」というのは何か知らんが我々のような死にかけたオッサンスロッターからすると、ひとつのマイルストーンみたいになってるんですな。たとえば編集長は筆者とほぼタメなのですが、彼がこの台を推す情熱というのも、これはもう納得せざるをえません。だって分かるもん。

で、ちょっと「ハナビノオヤカタ」は割愛するとして次にドンちゃんがホールを彩るのは全面液晶搭載の「花火百景」でした。これは「大花火」のリメイクなんですが、ほぼ同時期にほぼ同じシステムを採用したドパクリ台である「アダムスファミリー」がIGTからリリースされてます(無駄情報)。

筆者、百景の時期はギリギリ九州の片田舎にいたのですが、思い返せば入れ替えの日、アキバにもある某店の関連店舗に朝から並んでやっとこ上のほうをツモり、なんだかんだ4000枚くらいお持ち帰りしてホクホクでございました。んで、ちょうど会社を辞めて無職だったこともあり「オイラはもう百景で食ってく」みたいな宣言を当時の彼女にした上で翌日からめちゃ負けるという、なんともありがちなパイルドライバーを食らったというのが、筆者と百景のスウィートメモリーになっています。

筆者が上京したのはこの頃。当時リリースされたのが「青ドン」「赤ドン」「緑ドン」の三機種です。この時期は主に私生活が黒歴史化してて思い出すと頭痛がする有様なのですが、これらもなんとか頑張って打ってました。一番思い出深いのは「緑」です。リリースされてしばらくした後ですが、あまりにも仕事したくなくて仮病使って会社を休んで打ってたら朝イチから天井までハマってロケットに入り即終了し、ムカついて「マジハロ2」に移動した所でスーパーカボチャンスに入れたはいいけどやっぱり即終了するという、一日に無限系のART即アボンを2発食らうというあんまりな所業を通し「やっぱ仮病使って会社休んだ天バチくらうんだな」と学んだという。まあまあどうでもよい思い出でが今でもたまに夢に出てきます。

そっからちょっとややっこしくなるんですが矢継ぎ早に「花火の極」「花火の匠」「出番だ!葉月ちゃん」「緑ドン VIVA!情熱南米編(以下ビバドン)」「GETだ!BILLY」「赤ドン雅」がリリース。個人的黒歴史時期の最終盤ということもあって「嫌なことがあるとパチスロに逃げる」という性癖がいかんなく発揮されてた時期でもあるゆえ、何気にこのへんはスゲー打ってました。特に衝撃だったのはやっぱ「ビバドン」。むちゃくちゃ打ちましたし、クソ負けました。

そう言えば、とある足立の店舗に並んでた時に個人的に大好きなライターさんがお二人で並んでおられ、うわサインもらおうかな! とか色々思いつつ結局は思いとどまって入場し、そんで座ったのが「ビバドン」の初打ちでした。

うわー、同じシマにあのひとがいるー、話しかけちゃおうかなぁ! いやーでもプライベートっぽいし失礼だからやめとこうかなぁ……とか色々いろいろ考えてたら信じられないくらい負け、電車賃が無くなって歩いて帰るという、学生時代を思い出す養分ムーブをしたんですが、実はその時筆者は当時付き合ってた彼女と一緒に連れ打ちしてまして、そっちが散々「別の機種に行こう」というのを筆者が「いやでもあの人がいるんだよ!」と無理やり引き止めて二人して打ってたもので、なんかもう帰りの徒歩は最悪の雰囲気でございました。今でもビリーのキュポポポン音を聴くとあの時みた夕日の赤さを思い出します。

んで「雅」ですがこれもめちゃくちゃ思い出深く、これは浅草の「宇宙センター」というお店で打ったんですね。筆者は当時まだアダチャー(足立区民)だったのですが、とにかく都内の5スロ店舗を全部回ろうぜみたいなブログの企画を勝手にやってまして、んで宇宙センターには前述の彼女も一緒に言ったわけです。こっちは5スロを打ってレポートするために行っとるのですが彼女は20スロしか打ちたくねぇという事でさんざんゴネ、最終的には「種銭は筆者が出すんだから筆者の言うこと聞けよこの野郎」みたいな感じで朝からめちゃ険悪なムードのまま打ったわけです。あーもーこれはブチ切れですたいとか思ってたら、なんか彼女が7000枚くらい出すという。怒りの持っていきどころがよく分からん謎の心境のまま「雅ってめっちゃ出るんだな」と思ったのが苦い記憶になっています。

ちなみに宇宙センターは翌年閉店。さらにその翌年に独り身になった筆者が脱アダチャーになりそのお店のすぐ側に引っ越した事で、元宇宙センター前を通るたびにその日のモヤモヤを思い出すという、若干込み入った状況になりました。あと雅は曲が好きでした。なんならドン系で一番好きです。


●こいつよく考えたら危ねぇな。ドン2が現場に帰ってきたぞ!

長き暗黒時代も終わり、いよいよ人生が楽しくなってきた2012年。「ドンちゃん祭」がリリース。翌年には「緑ドン キラメキ!炎のオーロラ伝説」。さらに翌年には先日撤去されたばかりの「緑ドン VIVA2」がリリースされます。

この辺になるとお金に余裕が出てきたのもあり積極的に乱れ打ってます。何気に一番好きだったのは「祭」でしたが、この当時は打つべき台がめちゃくちゃあったので打ち込むまでには至らず。「オーロラ」はワタヤミーという名前の友達と一緒に連れ打ちした時に彼が人生で初のフリーズを引いて泣いてたのが印象的でした。ちなみにワタヤミーは沖縄弁で「お腹痛い」という意味だそうです。彼は食うに困って同僚にお金を借り、そのお金で「AKB48」を打って奇跡的に万枚出した帰り道で財布を失くすという、なかなか持ってるヤツでした。

で、問題作「ビバドン2」なのですが、これは6号機時代にこっそり進んだ再導入後にやっとガッツリ打ち始めました。最高出玉は6500枚。出したのは実は去年です。ようやく噛み合ってしっかり出てくれたのにもう撤去。しかもライターやってくるくせに撤去日の把握が甘く、「今日もビバるぜ!」と意気揚々と店に行ったらもうなかったという、なんとも悔いが残るお別れでした。6号機で3が出るのを期待してます!

さあそしていよいよアクロスから「ハナビ」登場。みんな大好きハナビ。話題になったしこればっかり打ってる人も沢山いましたが、序盤で語った如く筆者自身は初代ハナビにそこまで思い入れがなかったので残念ながらフェバリットまではゆかず。もちろん打ったら楽しいんですけども、これをメインに! までラブメーターが進む事はなく。弁当で例えるとアジフライ的な立ち位置の機種に収まりました。めちゃ美味いけど筆者は肉が好き。みたいな感じ。したがって「通」も同じです。ただ、こっちは設定Hを1日ぶん回したらなんかチャクラみたいなのに目覚めそうな気がするんでそこには興味あり。アジフライにタルタルソースのってる感じかな?

そして! いよいよ! 「ドン2」登場です!

上でも書いたんですけど、やっぱある年代の人にとって「ドン2」っていろんな要素がポジティブに噛み合った台だったので「俺はドン2なんぞ全然嫌いだったね」みたいな人ってあんま居ないとおもうんですよね。最大多数の最大幸福というか。40代のスロッター100人に「一番ちょうど良かった台を挙手で決めようぜ」みたいな提案したら、おそらく「ドン2」はかなり上位にくる。んで次にテクノコーシンの「極」でしょう。

と小粋なジョークをカマした所で本題です。ドン2はご多分に漏れず筆者もすげー期待してたんですけども、ホールでいよいよご対面だとなった瞬間、まず音でやられました。あーこれドンちゃんだわと。なんかもう練りエサで釣り上げられるヘラブナの如く、糸を巻く必要もなく手首のスナップだけでポンと釣り上げられる感じ。アクロスという名の太公望にとっては、我々は記憶の水たまりをたゆたうチョロい魚に過ぎぬ。みたいな感じです。なんなら釣り竿も要らんかもしれない。音が聞こえた瞬間シュポンと水面から勝手に飛び上がります。

パチスロを打ちながらニヤける、というのを、筆者すごく久々に経験した次第。

さらに、これは別にたんなる懐古というわけではなく、当時気づけなかったゲーム性やらリール、演出の奥深さに40代になってはじめて気付かされたりとかもありました。「液晶」というのは当時珍しくて「あードンちゃん動いとる」とぼんやり思ってたんですが、どうしてもリールと消灯というのがメインの楽しみ方だぜみたいな固定観念が自分の中で根強く、そのせいで当時「どれだけ液晶をシカトしてたか」というのも初めて思い知らされた感じ。

液晶をちゃんと見る。

これ何気に当時と今とで全然価値観が変わってることだと思います。なんか当時は「フルウェイトを切らしたらかっこ悪い」みたいな風潮があって、みな下を見ずに(初代の液晶は下についてた)打ってた気がするんですが、そのせいで台のおもろさの結構な部分がスポイルされてたんだなぁと改めて気づいた感じです。

筆者40代になって初めて気づきました。ドンちゃんは液晶みたらますます面白い(小学生なみの感想)。

んで液晶見ながらずっと消化しててふと気づいたんですが、ドンちゃん土手の一般道っぽい所を爆発物満載のリアカー引いて歩いててめっちゃ危ないです。トラックとか普通に通ってますし。あれトラックのオヤジがパンキッシュなヤツで窓からタバコをポイ捨てしてそれが花火に引火したら全国ニュースですしドンちゃんもただじゃ済みません。しかもかなり長時間歩いてますし、会場までそのトラックで送ってもらえばいいのに、なんかの罰でリアカー引かされてるんでしょうか。

当時のほうが長時間打ってたハズなのに、何の疑問も持ってなかったです。今から十年後、二十年後。8号機とか9号機でまた同じ液晶演出のリメイクが出たら、60代になった筆者は何に気づくのでしょうか。そして、その時にはもっともっといろんなドンちゃんのシリーズが出てると思いますけども、あのドンちゃんを打ってる時はああだった。こうだったと。振り返るだけのいろんな思い出が出来てるのでしょうか。だとすると、これは結構凄い事かもしれません。なんせ筆者の人生は、すでにパチスロを打ち始めてからの方が長くなっていますし。

「大花火」から「ドン2」まで。なんだかんだ筆者のパチスロ人生のどこかには、常にドンちゃんの姿が在り続けているのですから。

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あしのさんの

※本記事はユーザー投稿コンテンツです。

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このコラムへのコメント(8 件)

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あしの
投稿日:2021/01/27
パチ7編集長さん
チワッス! 職人(笑) 地域によっていろんな呼び方があるんですなぁ……。
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あしの
投稿日:2021/01/27
師匠2さん
チワッス! 裏ものですね!(直球)
神輿はめっちゃお金使って一回だけ白7揃って即終わったという悲しみの思い出があります。でも面白かった~
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パチ7編集長
投稿日:2021/01/27
俺の部族では『職人』って呼ばれてたな、あいつ。
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ししょー
投稿日:2021/01/26
おっさんはこの頃、アルゼよりも香ばしい世界にどっぷりハマっていたな。テクノは神輿だなあw
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あしの
投稿日:2021/01/26
夾竹だよ〜ンさん
ぐは! 夾竹さんいらっしゃいませ笑 てか逆ナン! いいなぁ。ホールで逆ナン。しかも状況がドラマティックだし。ドンは罪深い台ですなぁ……! いつもありがとうございます!
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あしの
投稿日:2021/01/26
かちょーさん
うわー、若いのによくテクノコ知ってるなぁ……! と感心しきり。ちなみに内容はほぼ脳死状態で書いてるんで、自分でも再現不可能です。本日も徹夜作業じゃぁ。
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夾竹!
投稿日:2021/01/26
自分も鈍痛に多種多様な想い出を持ちつつ初代花火を大好きだった彼女を想い出してしまって涙でリールが見えなくなってる所を逆ナンされると言う複雑な心境になった事が有ります
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投稿日:2021/01/26
テクノコーシンの極で笑いましたw
逸れそうで逸れない、凄いバランスの思い出コラムでとても面白かったです!勉強になります!

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