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サボイジ懐古厨_#6

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サボイジ懐古厨_#6

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さん
投稿日:2018/03/09 22:59

このコーナー説明はこちら

http://pachiseven.jp/columns/column_detail/12668

第6回は、CR機2回ループタイプの時代について

時は1995年、1994年ぐらい。

当時のぱちんこホールは賑わいを見せていていた。
モーニングを狙って、朝から行列を作り開店を今や遅しと待っていた。
全ての台が高稼働を続け、ひっきりなしにぱちんこを打ち続けていた。

という幻想があったりするが、そんな訳はない。


そもそも、ぱちんこホールに人が一番多かった時期というのはおそらく1980年後期あたり。
1990年半ばといえば、CR機が多く導入されるにあたり、一人がぱちんこで使う金額、
および勝った時に交換される景品の額。それはおよそ3倍に膨れ上がっていた。
逆に、ぱちんこにくる人はピーク時からやや減っている。

それは、バブル景気と大きく関係しているようにも思う。
「景気が悪くなると、ギャンブル業界が儲かる」
まさに、そんな感じ。
1990年から徐々に悪くなる日本の景気。
景気の良かった時代を取り戻すかのように、良い景気を味わった人はギャンブルを求め、
波の荒いCR機に人気が集まった。

結果、現在まで何も解決されないまま、当てのない議論をされ続ける
「ギャンブル依存症」という問題が突然ぱちんこ業界に降ってくる。
それが本格的にスタートするのが1996年から。という話が前回まで。

という訳で、
1995年前後、ぱちんこが問題視されることの少なかった時代の話。

ゴールデンタイムのテレビ番組でタレントがぱちんこを打っていた。
釘の解説や、台の解説など普通に地上波で取り扱っていた。
1980年後期の人気あった頃も含めて、ぱちんこに関する本や雑誌も増える。
女性が働く場所になった。それまで、男性ばかりの職場だったが、一変した。
重い扉に、重い空気、爆音の軍艦マーチなど独特の空気感が徐々になくなった。
イベントはなし。そんな事で、客を呼ぶ必要がない時代。
2.5円交換LN制、定量制。モーニングタイムやイブニングタイムで連続遊戯可能。
新台入れ替えは2ヶ月に1回ペース。入れ替え初日は釘を開けるのが普通だったけど
パチプロに還元するだけで、常連客に還元されないそのスタイルは徐々に薄れる。
また、CR機には釘あけが通用しない。シマが全く出ずに半日で空き台が出ることもあった。
確率が重い事や、確率変動突入率1/3で、どうしても波が生じる。
それまでの、釘と出玉の当たり前の関係が崩れる。オカルトが言われ出すのもこの頃。
台番にデータ表示はない。もしくは、簡易的なデータ。オカルトにはもってこいの状況。
ホールの経費管理はされてないことも多く、だいたいのどんぶり勘定。

それまで、釘が読める人しかまともに勝てない世界だったのが、
初心者でもかなりの金額を勝つ可能性を見出した時代。それを産んだのもCR構想。

まあ、今回の話はここまで。
なんか、最初の書きたい内容とちょっと違う気もするけど、まあ良い。
このコーナー、その場で思いついた事を書いてる事多いな。
次回は多分、1991年〜1996年の現金機の話をする

3

さんの

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このコラムへのコメント(2 件)

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投稿日:2018/03/11
ひろしさん

まだ、全然書いてないですが、次回の話は爆裂スペックなんてなく、一番業界に活気があった頃の話。

昨今、爆裂機出せなくなって、あの頃の原点復帰と言うけれど、昔の事は知る必要あるけど、昔に戻る必要はない。そんな感じの話をすると思う。
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ひろし
投稿日:2018/03/11
凄い面白かったです。
当時に戻りたい。そして自分が知らないその前にもいきたい。

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